名義について#0001

2022/09/20

商業制作物(あるいは、モーショングラフィックスやR&Dを目的とした自主制作)を作る際の名義を『ナカイトユウ』というカナ表記にすることにした。今回はそんな、名前のことについて話そうと思う。なお、当エントリに関してのみ、SNSでも共有するはず。

前提として中絲悠(ナカイトユウ)は本名ではなく、宝石『ユナカイト』を由来とした活動名義である。ユナカイトは緑色の緑泥石やピンク色の長石など多くの石が混在して成立している鉱物であり、様々な要素(二次元と三次元・夢と現実など)の境界を融かし、混ざり合わせるような映像を目指していたかつての自分にとってこれ以上ない名前への援用であったと今でも記憶している。映像制作を始めた当初から用いていた『悠』という没個性的なユーザーネームをアイコニックにする名目で『中絲悠』への改名・リブランディングを行ったのが二〇二〇年で、映像制作ツールを触り始めて約二年が経過した頃だった。スタジオへの所属が決まり、素敵なロゴタイプを仕立てていただくことによって永くこの名前を掲げることを決心したのが、その一年後である二〇二一年。以上がこれまでの経緯である。

がむしゃらに制作を行っていた過渡期が一過して、ふと立ち止まり今後の自分の在り方というものに意識を向けると、それまで遠くへ押し遣っていた一抹の不安(あるいは、陽炎よろしく目前を漂っているはずなのに掴み取ることのできない、曖昧な自意識のようなもの)がおぼろげながらにその輪郭を帯びはじめている事に気づく。それはたちまちに思索する脳内の空隙を食い尽くし、より黒く、より大きくなっていった。『中絲悠』の「作品」と呼べるものが、果たして今までにどれだけあっただろうか?という、至極尊大な問いである。

『悠』から改名して以降、己が今までに「作品」として標榜してきたものはその殆どが(ありがたいことにも)クライアントワークであり、アーティスト様/コンテンツの提供者様の希望や要望等を介して世に提示されていくものがほぼ全てであった。当然、数をこなしていく上でその全てが自分の要求通りに進むはずはない。時にはクライアントや受け手の求めている世界観や価値観・倫理観といったものに衝突し、葛藤し、またある時には妥協を辞さず――そうした中にも自らの表現のニュアンスをなんとか滲ませることで『中絲悠』という存在を組み立て続けて、二年と少しが経つ。拙作が想像を超えて多くの人の目に留まるようになった一方で、ある時期から、自主制作をしようとする手が動かなくなった。

それは多忙なスケジュールなどによる外的な要因ではなく、もっとこう、内面的な拒絶反応のようなものがあった。「自分の表現したいこと」その原型をありのままに吐き出すことのできる機会が次第に減り、トレンドやニーズに合わせて変性させたものが最終的な出力として世に出されることに対する葛藤の日々、そしてそのストレスに拍車を掛けるようにして、それらの作品に対する評価はダイレクトに「『中絲悠』の制作物」という形で還元される。パッケージングのために歪められた作品(及び主観)が再帰的に自らの構成要素となり、次の制作を、そしてまた次の制作を......というサイクルの果てに見たのは、当初の原形をとどめずに屹立する空虚な『中絲悠』の偶像と、その醜態であった。自らの美的感覚に則って組み立てた自主制作作品であるにも関わらず、自分の名義でそれを提示することに対して脳が矛盾を引き起こすようになった。オリジナリティなるものを担保する「作風」のうち、どこからがコンテンツの消費を促すために身につけた小手先の技(クリシェ、あるいは、エピゴーネン的態度)で、どこまでが自分の求める表現領域なのかが、もはやぐちゃぐちゃになってしまっていて分からない。宿主である自分ですら、枷を外れて暴走するペルソナを制御できない状態にまで陥ってしまったのだ。(もっとも、内発的なモチベーションに依拠することができずにそんな思考ばかりが浮かんできてしまう時点で、作家などを名乗る資格もない人間になってしまったのだろうが)

......以上の問題に対する解決策として、先人の知恵を少しばかり拝借することにした。具体的には庵野秀明さんのwikipediaから着想を得たもので、映像案件を受注するためにカタカナによる別名義『ナカイトユウ』を定義するというアプローチである。主な目的は二つあり、一つが商業的な制作物と自主制作作品の棲み分け、そしてもう一つが中絲悠個人の作家性の回復である。今後はTwitter/YouTubeを「ナカイトユウ」として商業作品周りの管理・広報としての運用を行い、Instagram/Vimeoを「中絲悠」として自主的な作品の投稿に使うことにする。俗で稚拙な言葉に置き換えるのであれば、「中絲悠という名前は自分にとって本当に大切な作品を作った時のために取っておきたい」という我儘。対外的にはほぼ何も変わっていないようにも思えるだろうが、自分の中ではこうした姿勢を取るだけでも気持ちが十分に軽くなったので、これで良しとする。当エントリが同様の問題で悩んでいる方の一助となるのであれば、それはそれで幸いだ。今後はInstagram/Vimeoを通じて今までおろそかにしてきたこと、すなわちあらゆるものに縛られること無く作品を作る機会を増やしていきたいと思う。



以降は余談であるが、「ナカイトユウ」用のアイコンは「良い映像を作る人のSNSアイコン、ゆる動物イラストが多い説」という持論(暴論)に準拠してキツネさんのイラストにした。インターネット・フレンドの妙案「魔法少女アニメの使い魔風」という啓示を受けて、若干の装飾を施している。マインクラフトのホッキョクギツネがなんとなく好きなのも理由の一つかもしれない。一番扱うことが苦手な色である緑色をカタカナ名義の背景色として持ってくる事によって「清濁併せ呑む」姿勢を当面の目標としつつ、ユナカイトに含まれる色をコンセプト込みで絡めることができたので、いい感じ。

© Yū Nakaito
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